
先日、アマプラで『ドーナツもり』を観た。
映画の冒頭で、
「ドーナツの穴はなぜあいているのか」という話題が出てくる。
それを見て、ぼんやりと
ドーナツの穴のことを、考えた。
ちょうどその数日後、
ドーナツ屋のカフェに入った。
お皿の上の、きれいな輪っか。
あらためて見ると、
あの穴は、すこし不思議だ。
調べてみると、真ん中までちゃんと火を通すためだとか、
軽く仕上げるためだとか、いろいろ理由があるらしい。
欠けているのではなく、
おいしくなるための形。
そう思ったとき、
すこしだけ、自分のことを考えた。
できないことがある。
苦手なことがある。
昔は、なんでも一人でどうにかしようとしていた。
それが強さだと思っていたし、人に迷惑をかけてはいけない、という思いが強かった。
けれど生きていく中で
頼ることが必ずしもネガティブなことではないということに気がづいた。
頼られた人は役に立てて嬉しくなる。
自分も頼られたら嬉しくなる。役に立てたら喜びが生まれる。
今は、
すこしだけ頼ってみる、という選択肢がある。
一人でどうにかする、から、
すこしだけ頼ってみる、へ。
誰かにとっては小さなことかもしれないけれど、
私にとっては大きな変化。
それができるようになって
自分のなかの隙間に、
あたたかい空気が、通ったような気がしている。
器は、中が空だから役に立つと、どこかで読んだことがある。
そのときはふうんと思っただけだったけれど、
ドーナツを見て、すこし思い出した。
穴があるから、ちゃんと火が通る。
まんまるのドーナツもある。
それも完成形。
穴のあいたドーナツが好きな人もいるし、
まんまるが好きな人もいる。
もし「穴がある」ことが欠点だというのなら、
まんまるには「穴がない」という欠点があるということになるのかもしれない。
ただ、
どちらもただの形で、
どちらもそれぞれの完成形。
誰もが、ありのままが完成系で魅力的。
そんなことを考えた、ある日の休日。
ちなみにわたしは
カラフルなチョコレートがかかっているドーナツが、
この世のドーナツの中でいちばんすきです。

📍Donut and Meatball KEOkeo.
おまけ

あぐらをかくと必ずくる猫。
私の空洞を埋めにきている。



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